書道人生の中で、私が心から尊敬している
阿部 翠竹先生の肉筆の書10点が展示されました。
先生の書の前には、自然と沢山の方が集まり
”やっぱり先生の書はいいわねぇ”という惚れ惚れとされている方々の声が聞こえてきました。
第一室の一番奥から、ものすごい気が部屋中に発信されているようでした。先生の書は生きています。
唐の太宗皇帝が、書聖”王羲之”の肉筆 蘭亭序を墓の中に入れるよう遺言していたため、世に肉筆は残っていません。
王羲之の書を世に残してくれていたら、どれほどの人が、私も肉筆を臨書することができたのに、と思います。
翠竹先生の善い書を前にすると、沢山の方に先生の書を観てもらいたい気持ちと、先生の書を誰にも取られたくないような気持ちになります。ですからその(皇帝の遺言の)気持ちもわかるな、と思ってしまいます。
先生は、
「書は人也、心正しければ書もまた正しい」を信じ、
「自己完成が、書芸術の根本特質」として
ひたすらその境地を深められました。
先生の書に出会えたことは、私の宝です。先生の善い書の伝承は、私の使命だと感じています。
けれど、書道をこれから始めたいという方や始めて間もない方からしたら、何が善い書なのか、伝わりにくいことが歯がゆいです。
楷書や行書までなら、分かり易いかもしれませんが、書体が違えば、草書や、近代詩や前衛は?マークでしょうし、非常に難しい仮名書道にもなれば、古筆を本格的に一定期間学ばなければ上手も下手も、習い方もわからない方が多いと思います。
翠竹先生のお言葉に、
”一歩一歩進め”
”価値は相手が決める”
翠竹先生の内弟子でいらっしゃったS先生から教えていただきました。
どうしたら”真の善い書”を、できるだけたくさんの方に伝承していけるか、知っていただけるか。
焦らず一歩一歩、進んでいきたいと思います。